今年一番の思い出 〜 ユングフラウマラソン
2月17日、今年はついに念願の東京マラソンの抽選が当たって走ることが出来た事が素晴らしい思い出です。まだ始まったばかりで歴史の浅い大会なのに、あのコース沿道の応援のすごさにはびっくりしました。それと同じくらい印象に残ったのがあの寒さ。東京都庁前の道路上でスタートまでの約40分ほど。上半身はゴミ袋を被っていたのでまだよかったものの、路面からの底冷えで足の甲が完全にかじかんでしまい、スタートしてしばらくの皇居付近でようやく足が解凍されてふつーに走れるようになったが一番思い出深いかも。クジ運悪いくせに来年の東京マラソンもなぜか当選済み。来年は3月なので今年みたいな底冷えはもうないでしょう、きっと。(雪ふったりして。)またあの大観衆の中を走れるのが楽しみです。
さて、今年一番の思い出といえば、9月にはるばるスイスまで遠征して走ってきたユングフラウマラソンしかないでしょう。レース当日についてはまだ書いていなかったので、一年の締めくくりの今日、写真を添えて簡単に振り返りたいと思います。このエントリーを読んで将来このレースに挑戦する人がいてくれたらいいな、と希望を託しながら書きます。
ガイドブックによると、『9月のスイスはもう秋なので長袖は必須。油断禁物!』みたいに書いてあったのですが、意外と温かかったです。まだ夏の終わり、ってとこでした。でも山岳地帯なので、天気はころころ変わります。こればっかりは運だのみとしか言いようがありません。でも、スイスのように景色を楽しみに来る場所ではまさに天気次第なんですよね。
レース当日の朝は晴れていました。ご覧のようにスタート地点のインターラーケンの街からもユングフラウが見えていました。でも、山の上にはあつーい雲が。あの中に入っていくので、レース後半の天気が悪くなるだろう、というのは天気予報でおおかた分かっていました。
レース前の着替え、準備にとりかかるランナーの面々。去年のベルリンマラソンは世界中からランナーが集まる本当の意味でのインターナショナル多国籍軍レースという感じでしたが、この大会はおそらく4割が地元スイス、4割が隣国ドイツから来た人たち、のこりの2割がその他の皆さん、って感じだったと思います。やっぱりアジアからのランナーはほとんどいませんでしたが、スタート前にツアーで来ていた日本のおじさんが声を掛けて、お互いに健闘を誓い合いました! ちなみに、日本人の参加者は14人だったようで、そのうち11人はツアーで来ていた人たちでした。2人以上であればツアーの方が安いだろうし、いろんなメリットもあるのですが、僕のように一人での参戦ですと逆に高くついてしまう(特にホテルの部屋の一人利用料金が非常に高い)ので、勇気と冒険心で個人旅行として行くのも面白いですよ。(飛行機、宿泊、現地での移動手段などなど、ご質問のある方はぜひお知らせ下さい。分かる範囲でお答えします。)
さあ、いよいよスタートです。この大会、地元スイスでは『鉄人レース』と恐れられているほどなので、日本人メタボ代表のボクチンはほんとに大丈夫なのか、これから体験するレースにぶるぶると武者震いの瞬間。
インターラーケンの街の中をぐるーっと一回りしたあと、登山鉄道のレールにそって山を目指して進みます。この写真の川の右側に見えるのが山に向かう幹線道路。さすがにこの道をふさいでしまうと大型車両については完全に交通網が遮断されてしまうので、レースは一般車道は使用せずに、この写真にあるようなあぜ道風の路地を通っていきます。山からの雪解け水の川は石灰分を含んでいるからか、なぜか真っ白。 レースはこの後もひたすらアルプスの少女ハイジのような町並み、家々の中をくぐり抜けてゆきます。まさにスイスらしさをおしげもなく全面に押し出してきます!
登山鉄道で最初に列車を乗り換える駅の街までやってきました。ここはラウターブルンネン。列車でユングフラウへ向かうにはこの街を右手に見ながらそのまま素通りしてしまうのですが、この街も有名な観光地で非常に景色の美しいところ。このレースでは距離稼ぎの意味合いだと思いますが、山岳道に入る前にこの街を経由した長い折り返しコースを通ります。
上の写真はこの街のシンボル、シュタウプバッハの滝です。この写真はズームで撮ったのでこの滝の高さが伝わりませんが、なんと落差305メートル。 これだけの水量があるのにあまりの滝の高さに、地上まで水が届く頃には霧のようになってました。詩人ゲーテなんかもこの滝の美しさに魅了されたんだそうです。 これ以外にも、これから走り抜けるこのU字型の渓谷にはあちらこちらに雪解け水が流れ落ちる滝がいっぱい。カレンダーの写真のような光景がランナーの目の前に展開されます。
僕は走り始めて6年ほどですが、こんなにスケールが大きくて美しい景色の中を走ったのはこれが初めてです。この時の感動はずっと忘れないでしょう。
そんな気色の美しさに酔いしれていられたのもレースの前半だけ。 26キロ地点から急に、ほんとに急に山岳コースが始まります。事前に配布されていたコースの高低図にもその通りに書かれていたので、初めから分かっていたといえば分かっていた事なのですが、まさかこれほどまでにすごいとは。。
この坂道を目の前にして、僕は立ちすくんでしまいました。『えっ、またまた〜。うそでしょ、これって。』 でも周りのランナーは何事もなかったかのようにその坂に向かって挑んでゆきます。 ええーっ、ほんとに?? 冗談じゃないくて??? そう、冗談じゃなかったんです。これがユングフラウマラソンが鉄人レースと言われる所以だったんですね。いままでの 26キロはほんのウォーミングアップで、ここからがこのレースの本番だったんです。(涙) 上の写真、最初の坂をしばらく登ったところから後ろを振り向いて撮ったものですが、あまりの急激な角度に振り向くのも怖かったくらい。 ここで5キロくらい、こんな坂が延々と続きました。僕は歩いて登るだけでもしんどくて、30メートルくらい登っては道の脇の柵にもたれかかって息を整えて、ってな感じで進んでいくのが精一杯でした。ヨーロッパの人たちは冬はクロスカントリースキーとか、冬以外にもこんな急激な山にピクニックなんかに来ているせいか、みんなこういう急激な坂を登る脚力がすごい。ほとほと感心しました。
一旦その急激な坂を登り切った後も、容赦なく急激な山をぐんぐんとコースはひたすら上ってゆきます。普通に走れる平地は次第に限られてきます。 30キロくらいで僕の太ももあたりは痙攣の一歩手前って感じで、あとはごまかしごまかし進むのみ。
この日、僕は第2回湘南マラソンの真っ赤なTシャツを着て走っていました。(スイスのナショナルカラーに合わせようと思って。)そのTシャツの背中に、"Shonan Marathon" って書いてあるんですよね。 30キロを過ぎたあたりで、背後から日本語で『ショーナン、ショーナン』と、けっこう大きな声で呼びかけてくる人がいます。『えっ、なんで日本語が聞こえるの?』と思って振り返ると、地元スイス人のランナーでした。聞けば、なんと奥さんが日本人で、川崎の人なんだとか。で、このご本人も何度か日本に行ったことがあるらしくて、横浜周辺のJRの駅の名前とかは日本語で覚えているみたい。『ショーナンシンジュクライン』とか言うから、『それって僕が毎朝出勤で乗っている電車なんですけど。。』ということで話がもりあがり、そのあと20分ほど、そのおじさんと延々といろんな話をしました。なんとこのおじさん、この大会の第一回目からずーっと完走で通してきているんだそうです。
僕は足がますます痙攣しそうになってきていたので、そのスイス人のおじさんには先に行ってもらうことにしました。 でまたしばらくしたら、こんどはドイツから来たランナーがまた話しかけてきてくれました。この人もこの大会の常連さんでしたが、去年の冬にクロスカントリースキー中にケガをして、そのリハビリがあったので久しぶりに臨んだマラソンのレースだったようで、今までのユングフラウマラソンで今回が一番しんどい、って言ってました。このランナーとも20分ほどずーっとあれやこれやお互いの話をしながらゴールを目指しました。(結局このランナーが足が痛いから先に行って、と言われたのですが、最後ゴール前で抜かれちゃいました!) アスリートってさわやかでいいやつが多いな、って思いました。身体は疲れ切っていても、気持ちは非常にさわやかな気分になりました。
普通のマラソンレースではとてもこんな周りのランナーと話しているような余裕はありませんが、そこがこういう山岳レースのいいところ、って思いました。 それと、ドイツ人もスイス人も、ヨーロッパの人たちってほんとにごくふつーに英語がめちゃくちゃ上手です。英語のネイティブスピーカーとまったく変わらない。しかも英語だけじゃなくて、この周辺の3〜4カ国語くらいをふつーに話せる人も多いらしいから感心しちゃいます。
写真で伝わるでしょうか、こんな感じの急なコースがずーっと続きっぱなし。横を通過してゆく登山鉄道の運転手さんも、ポーッ、ポーッ とエールの汽笛を鳴らし、車窓からは乗客が手を振ってくれます。ランナーは全身の力を振り絞ってひたすらゴールを目指します。
そういえばこの大会、胸につけているナンバーカードの片隅に、ランナーの出身国の国旗が描かれていました。途中、沿道の応援の人たちが僕にも『おー、はるばる日本から来たのか? がんばれー』 とか、『ニッポンがんばれ、ニッポーン!』と盛んに応援してくれたのが嬉しかったです。そういうところが国際大会の醍醐味ですね! メタボなのになんだか国の代表選手になったような気分がたまりません。
39キロ地点までやって来ました。いよいよクライマックスです。とは言っても、僕はここまでたどり着くのがやっとこさ。両足はもう痙攣する寸前。 きつかったです。 この写真でもわかるように、この日、このあたりにはあつい雲が覆っていて本来であればものすごい気色が目の前に迫っているはずでしたが一面の雲で何も見えず。ゴールも20メートルくらいまで近づくまで見えませんでした。
制限時間はたっぷり、と思っていたら、僕がゴールした後は制限時間まであと10分しかありませんでした。あぶない、あぶない。でも後日完走記録を見たら約4,000人のランナーの中、約1,000人が途中リタイヤしていたようです。僕は 2953位でのゴールでした。 正直言って、めちゃくちゃしんどいレースでしたが、一生わすれられない景色と体験でした。 うん、海外マラソンレースってやっぱり面白い。 これからも経済的な面と身体的に続けられる限りに続けてゆきたいと思っています。
2008年を駆け抜けた市民ランナーの皆さん、今年もお疲れ様でした。ぜひよいお年をお迎え下さいませ。 来年も楽しくぼちぼち走り続けてゆきましょう。




























